たまゆら

日々思うこと。ひとりよがりだと思うけど。。。

今年にはいって、湿疹に悩まされていた。

子供の時は、アレルギーと共に湿疹もひどかったのに

年とともに治ってた。

けど。。。最近 また。。。彡(-ε-;)彡

今日も手の甲がかゆくて掻いていたら

ふっと思い出したこと。

 

遠い昔、近所のおばあさんに育ててもらっていた私は、

そのおばあさんが大好きで、大好きで。。。。

おばあさんも生まれたばかりのころから、ほぼ起きてる時間を育てたことで

我が子、我が孫のように愛してくれてたと思う(血をわけた子供がいない人だったし)

でも子供って残酷だよね。

おばあさんの手の甲がしわしわで、つまむと元に戻らないことが

おもしろくて、しょっちゅうつまませて貰ってた←鬼?(笑)

  そして今。

自分の手の甲が、そうなりつつあるのを自覚している。

働き者の手というか。。。。。。。。

「老い」というものを感じつつ、そこまで頑張って生きてきたなと感心した。

 

間違って方向に向かって走ってきたのかもしれない。

正しい方向に向かって走ってきたのかもしれない。

その評価は、最終的に亡くなるときに自分で下すだろうけれど、

ただ一生懸命だったことだけは、胸を張って言える。

 

でも一生懸命になれたのも、ボンが生まれてからかもしれない。

それほどボンの存在は、私には大きなものだった。

上手に愛情を感じさせなかったかもしれないけど、

心の中は、ボンと一緒に暮らしてた2匹の犬でいっぱいだった。

 

 

乳癌 確定!

リンパに転移ありだそうです。
肝臓には転移ないみたいだけど、
息苦しいのが続いてるので、肺転移が疑わしいかも。

今週末ヨッシーの結婚式で島根に行くけど、
出雲大社にお参りで、ボンの縁結びを強くお願いしてこよう。
パートナーができることで、ボンにも身内ができるものね(^ω^)

とりあえず来週順天堂で検査で、治療方針を決めるらしい。
あんまり予後が良くないとおもわれてるのか、
お酒飲むのも全然反対しない先生。
私はまだまだ負けるつもりないんだけどな〜☺️

手相♪

おととい同僚の彼女が、某所の「観れる人」のところに行ってきたらしい。

遠い昔「深谷の観れる人ほどすごい!とは思わなかったけど、

今回の人もなかなか。。」と感動して報告してくれた。

ながい付き合いになって、プライベートからなんでも話をしてたけど、

そういうことが好きとは知らなかったわ(笑)

で。。。私にも観てもらえと電話番号を教えてくれた。

 

確かに観てもらいたい気がするけど、

私の場合は気になるのが、ボンのこと。

だからボンが知りたいというのならともかく、息子だからといって

私が勝手にいろいろ聞いていいものなのかな?とも思える。

でも基本的に占いが好きな私は、ちょっと行ってみようかなと思う。

 

  遠い昔、みんながおびえるほど「観れる」という人に見てもらった時に

「あなたは観れない。あなたは自分で人生を作り上げる人」と言われた。

       ↑

なぜこんなことを言われたかというと、

私に関してはかけ離れたことばかり言われたからで、

不信感いっぱいな顔してたからだと思う(笑)

信じなかったわけではなく、一緒にいった友達(幼馴染)は

私が知ってる限り、すごく当たってた。

「なのになぜ?」って不信感だったのだ。

 

だから今回もあんまり期待はしてないし、占い大好きだけど

人生が占い通りになんていくとは思ってない私には、

好奇心を満たす行為な気がする。

 

でもその中で信じてるのは手相かな?

今回の「がん告知」を受け、やっぱり不安もあるので

いろいろ調べたら、私って結構珍しい?というか予後の悪い癌みたい。

炎症性乳がんだっけ?それっぽいのである。

なので「もうダメなのかな?」と落ち込みそうだったんだけど

なにげに手相を見てて、生命線がしっかりしまくってる。

さらに思い出したのだけれど、

遠い昔にお遊び程度に友達が手相を勉強してたので、実験台になった時に

「この辺の年代で(年代までは読めなかった)生死をわけるような病気をするかも」

と言われてたのだ。

ただ。。。助かるみたいだとも言われた。

それを信じたのは、過去にもそういうことあったよねって言われて、

確かに、私の記憶がある限り少なくとも三度死にかけて戻ってきたのだ。

それのうちの二回は当たってたし、三回目も警告してくれた。

そして四度目。

だから私は絶対大丈夫!と心を入れ替えてみた。

落ち込んだりしてる場合ではない。

ボンが支えを見つけるまで、ぜったい一人にしないぞ!と心に決め、

がんばる気持ちになったのだ。

  

・・・・でも・・・・夢だったり、誤診だったらいいなと

思わずにはいられないけど。←弱い?(笑)       

 

乳がん発覚???

誕生日プレゼントは乳がんでした。。。笑えないか(笑)

 

でも検査の時に「疑いがあります」とかじゃなく

乳がんです」と言い切られたということは

結構進んでるのかなとも思える。

「要再検査」と言われてたのを放置して

3年近くなるんだものね。

しかも健康診断で婦人科検診を受けようと思っていたのに

その当日いきなり「先生が急きょお休み」という

とんでもないドタキャンされたことには、なにか意味があるのかも。

          。。。。あるのか?(ボソ)

 

今年の初めから、なぜか「人の死」について考えたり、

サイトで探してたりしてたのは、これもある種の予感なのかもしれない。

だから「乳がんです」と言われたときにも

「やっぱり」ということと「どうやってお金を。。。」って冷静に聞けた。

会社の同僚には「強いね」って言われた。

ながーい付き合いで、すごくいい子で大好きな人なんだけど、

 よくあの言葉を使うところは、結構むかつく。

強いんじゃなくて、強くいなければいけないという状況が

理解できないんだろうなと思うので、諦めているけど。

彼女のように旦那さんがちゃんと守ってくれてる人は、

そうそういないんだと理解してるといいんだけれど。。。。

(彼女の話を聞いてる限り、欠点はあっても、しっかり彼女を理解して

サポートしてるようにしか聞こえない)←Cちゃん、ここちゃんと読みなさい(笑)

 

それにしてものんさんは、さすがだわ。

すぐに電話をくれて励ましてくれた。

そして「こっちに帰ってきて、うちで暮らそう」と言ってくれた。

もともともっと歳をとったら一緒に老後を暮らそう(シェアハウスで)

と言ってたので、お互いを看取る前提だったしね(笑)

すごくありがたいし、そうしたい。

でもボンは。。。もうこっちの生活を捨てられないだろうし、

私はもし死ぬとしたら、最後はボンのそばにいたいなと思うし。

 

ほんとはコワイし、泣きたい部分もある。

でも私以上にボンがおびえてるので、平気なふりをしてやらなきゃいけない。

それはすごくしんどいことだけど、さ。

それに最低でもあと10年は、ボンのバックアップしてあげたいので。

誰もそばにいない私たち親子には、一人でも欠けるのは痛恨の極みだ。

 

  ゆうべ寝るときに、ボンがあまりに落ち込んでるので

「大丈夫!まだひとりにはさせへんから!」と力強く言っておいた(笑)

がんばるしかないよね。

 

 

 

またまた間が空いたけれど・・・・

本日無事誕生日を迎えた私。

 

記憶がある限り親族(両親・兄弟)に、ちゃんと「誕生日」に

お祝いしてもらった記憶がなかった。

あ もちろんお祝いをしてもらってたけど、クリスマスと一緒にされたり

自ら「今日誕生日」と言わない限り、忘れられてた(笑)

 

それに比べ姉の誕生日は、その月になると

誕生日プレゼントを用意するように言われてたなぁ。。。。

それを不満に思いながら口にできなかった幼い日。

でもあれは22~23歳ぐらいのときだったか、

友達が誕生日祝いの飲み会を開催してくれたのに、

母親から参加のだめだしをされたことがあった(しかもひどく怒られて)

。。。。初めてブチギレしましたよ(笑)

「あんたたちは私の誕生日なんか覚えてもないくせに、お祝いしてくれる友達を

けなす権利はない!」

母は超~~~~~~がいっぱいつくぐらいショックを受け、

またその日が私の誕生日だと気が付いた。

私も捨てゼリフと共に、その飲み会に参加するために出かけたし。

そしてそれ以来毎年誕生日には、言わなくてもチラシ寿司を作って

食事で祝ってくれるようになった。

 

  よくそこまで我慢したな、私(笑)

 

まぁ私もこんな歳になったら、改めてパーティだなんだなんてないけれど。

誰にとっても「誕生日」というのは、その人だけのためのお祝いなので

とても大事に思う。

なので仲のいい人には、吹けば飛ぶようなものだけどお祝いをしている。

喜んでくれてるならいいけど。。。。

今年はボンが「何か欲しいもがある?」と優しく聞いてくれた。

めずらしいなと思うけど、おそらく

土曜日に胸にしこりがあるのは発見して、今日病院へ検査に行くからかな。

私だって怖いけど、私以上にボンは怖いんだろうなと思う。

 

私の場合。。。。

怖いというのは、病気の怖さより(もちろんそれもないわけではない)

万が一癌だと診断されたら、その治療費、そしてボンが一人になってしまうことへの

恐怖が一番だと思う。

まず頭に浮かんだのが「治療費」だったのは、我ながら笑ってしまった(笑)

 

いろいろなことがあって、親戚付き合いを断った私とボンには身内がいない。

さらに心から信用し、何をおいても助けてくれる友達が大阪にしかいない。

 

そしてボンは。。。

一人では暮らしていけるとは思う。それだけの事は出来る子だから。

ただまだまだ大人になりきれてないので、支えてもらわないと無理だと思う。

(もちろん本人は大人になってると思ってるだろうけど)

まだまだ引っ込み思案な時の癖が残ってるし。。。。

 

 

 まぁ 検査も受けてないのに、余計な心配はやめておこう。

何ごともないように祈りながら、検査にいってきます!!

 

 

 

ひさしぶりに。。。

下書きばっかりで、ぜんぜんUPしてなかった・・・(・∀・;)

 

高槻の中1殺害事件について、なんか必死で記事を追いかけてた。

せめてもう一人の男の子は助かってほしかった。

悲しすぎる。

それにつけても、ご両親はとてつもなく後悔しているだろうな。

Net上では、いろいろ叩かれてたし・・・・

これ以上叩くのもひどいとは思うけど、

 

なぜあんな時間の外出を許したんだろう?

それはずっと思ってしまう。

 

私自身もボンも、ぜったいに子供は19時過ぎて(いや18時でも)外にいることは

許されなかったし、許さなかった。

お祭りだって、ぜったい親が一緒だったし。

中学3年生になってお祭りを友達同士で行ったときには「大人になったな」と

真剣に思ったものだったわ。

一度試験勉強を友達の家でやってて、遅くなったから友達のお母さんから、

泊まっていくように言われて、両親に電話してくれたけど

うちの両親は迎えに来るほうをとった。

他の友達は止まったので、その時はすごく嫌だったけど

今親になって考えると、よかったなと思う。

うちの母親はすごい怖がりで、夜外に出るのを怖がっていたので

それが叩き込まれてるのもある。

 

そしてその教えも叩きこまれ、ボンを育てる時も

決して夜は外に出さなかった。

どうしても用があるときは、必ず同行したし。

こっそり出かけたにしても、近所のおばさんたちに怒られてたと思う。

今回の事件も大阪だけど、私は大阪市内で、しかも昔から住んでる人たちばかりの場所で

子育てできてよかったなと思う。

昼間にフラフラしててもどこかからその情報が入ってきたし、

ボンが学校をさぼろうとしてたら、近所の私の友人が引きずってつれていってくれてた。

(私は出勤後だったし)

なにより「お母さんは大変なんだから、心配かけるな」と教えてくれる人達が

たくさんいた。

親の目が届かないところは、私の友人・近所の人が助けてくれた。

 

そういう近所付き合いができていたら、今回の事件は防げたんじゃないかとも思う。

いや 付き合いがなくても、近隣の住民が叱ってくれる人がいたら

防げたのになと思ってしまう。

 

他人の事は、見て見ぬふりする地域に住むようになって、

(今回のような場合でも叱ってはいけないと教えられた)

古き良き習慣は、そのまま残すべきだなと思った。

 

今は二人が安らかに眠って欲しい。

そして二人のご両親も、自分で自分を責めているだろうから

もう誰も責めないで欲しいなと思う。